Windows版『ハイドライド』発売を記念して、かつてT&Eマガジンで活躍していたスタッフからのメッセージを集めてみました。T&Eマガジンが最終号を迎えてから、もう10年近くも経つんですね……。

■横山俊朗

“T&EのT”こと横山社長です。当時は『AUTOSHOW』でカーキチっぷりを披露されていましたが、今でも愛車ベンツの運転はアグレッシヴだったりします。
名前(当時のペンネーム)・・ペンネームは無いが、創刊何号かまでは“鬼の編集長”として、皆の原稿に赤を入れていた。
現在の役職・・・・・・・・・代表取締役社長
当時の役職(担当していた仕事)現在と同じと思う。他に営業・広告・広報・パッケージ制作・『T&Eマガジン』の編集等、何でもやっていた。

『ハイドライド』の思い出
当時のパソコンゲームソフト業界では、海の向こうで“RPG”なるものが流行り、日本でも『テトリス』でお馴染みのBPS社が『ブラックオニキス』というRPGを発売し、ヒットの兆しがあった。その頃T&Eでは「他社のやらないソフトを創る」をモットーに作品を制作していたため、動きの無いRPGを「アクションゲームのように全部動かしてしまえ!」という副社長の無謀な(?)発案で企画がスタートした。ゲームデザイン及びメインプログラムは、当時売り出し中の“変態プログラマ”内藤時浩が担当し、'84年末に発売となった。
似た様なことを考える人は他にもいたようで、同じ頃に日本ファルコム社の『ドラゴンスレイヤー』が発売となり、『ハイドライド』発売直前は肝を冷やしたが、幸い両作品ともにヒットし、ホッとした憶えがある。その後、“アクションRPG”は以降の作品に影響を与え、米国のソフトハウスにも高く評価された。いずれにしろ、我々も日本ファルコム社も、世界に先駆けて“アクションRPG”という新ジャンルを創り出したという誇りと、自負心は今も持っている。(日本ファルコム社の加藤社長とは、今も親しくさせていただいています)

●Windows版発売に関して
古い作品だし、グラフィックなどの手直しも無しに発売するのはやめようよ、という私の強い要望も、若手の『ハイドライド』で育ったスタッフ達の熱意に押され、ここに至りました。付録のプレミアムも含め、テーマは「懐かしさ」だと思いますので皆さん存分に懐かしんでやって下さい。

ユーザーのみなさんにひとこと
15年も前の作品ということで気恥ずかしい部分はありますが、いずれにしても日本におけるアクションRPGの幕開けとなる記念碑的ソフトとして、皆さんに楽しいでいただければと思っております。

■横山英二

“T&EのE”こと横山副社長です。社長と同じく『AUTO SHOW』での活躍が目立っていましたが、『スターアーサー伝説』シリーズの生みの親としても有名だったのです。
名前(当時のペンネーム)・・T&E-E
現在の役職・・・・・・・・・取締役副社長
当時の役職(担当していた仕事)取締役開発部長

『ハイドライド』の思い出
ハイドライドが世に出る以前、RPGは絵の動かないテキスト形式のものしかありませんでした。絵の動かないゲームなんてやりたくない私は、当時、RPGの布教をしていた内藤くんに「だったら、アクションのRPG作ってよ」と言いました。彼は「え゛ー! アクションですか?!」と言いながらも、翌日にはシコシコ、プログラムを組み始めていました。
 数ヶ月後、RPG嫌いの私でも楽しめる、アクションRPGが目の前にありました。言ってみるもんです、無理難題。

●Windows版発売に関して
誰か、Mac版を作って下さい。

ユーザーのみなさんにひとこと
 今も昔も、ゲームの本質は変わっていないということを、再認識していただけると思っています。
 それにしても、いいよなー、Windowsユーザーは……。歳をとるとひがみっぽくなります。

■吉川泰生

T&Eマガジン編集長として、また広報として幅広く活躍。当時のPCゲーム誌のどこかには必ず載っているほどでした。『ディーヴァ』の原作者でもあります。
名前(当時のペンネーム)・・よぴかぱやぴお
現在の役職・・・・・・・・・プロジェクト推進室長
当時の役職(担当していた仕事)プログラマ

『ハイドライド』の思い出
『ハイドライド』の最大のピンチは、やはりなんと言っても『カレイジアス・ペルセウス』(コスモスコンピュータ)の広告を内藤クンが見た時でしょう! それこそ“この世の終わり”って感じで青くなってる彼を、みんなで必死になって励ましたおぼえがあります。まあ、なんとか彼が気を取り直してくれたから『ハイドライド』は、この世に生まれ出ることができたわけですが、いやはやホントあの時はヤバかったですねえ。

●Windows版発売に関して
Windows版『ハイドライド』最大の敵はボクだったんじゃないでしょうか? イロイロと担当者に注文つけまくって、あまつさえこの原稿も一番最後だという……わはは。

ユーザーのみなさんにひとこと
いろんなことを思い出しながら、しみじみプレイしてみてください。今回残念だったのは、X1版の移植が諸般の事情によりできなかったことでしょうか。X1ユーザーのみなさん、そしてDr.パソコン宮永先生……ゴメンナサイ。

■西脇健太郎

T&Eマガジンでは“西脇プロ”として有名でした。『ハイドライド』を担当したのは『3』からなんですね〜。実はWindows版の開発ディレクターでもあります。
名前(当時のペンネーム)・・西脇プロ
現在の役職・・・・・・・・・コンシューマ統括部開発室 開発室長
当時の役職(担当していた仕事)下っ端プログラマー(『ハイドライド』の時は、まだ入社していません)

『ハイドライド』の思い出
プレイをした思い出となってしまうのですが、当時はPC-6001ユーザーだったので、PC-6001版が出た時はうれしかったです。

ユーザーのみなさんにひとこと
ご購入ありがとうございます。
昨今のゲームと比べると、当時のゲームは、グラフィックやゲームシステムはシンプルですが、その分、何かしら想像力を掻き立てるものがありました。
私たちも“原点”を振り返って、ゲームの本質を追求して行きたいと思います。

■加藤英治

最近では『遙かなるオーガスタfor Windows』など、3DGOLFのイメージが強いですが、『ハイドライド』はスプライト機能を持つ三機種を担当していました。
名前(当時のペンネーム)・・かとびん
現在の役職・・・・・・・・・コンシューマ統括部開発室 技術担当部長
当時の役職(担当していた仕事)アルバイト(MSX、MSX2、ファミリーコンピュータ)

『ハイドライド』の思い出
ハイドライドを作ったのは1985年なので、もう10年以上たってしまい記憶も薄くなっています。(^^; 当時私は大学生(19歳)で、アルバイトとしていろいろ作っていました。下宿に機材を持ち込んでプログラミングを行い、出来たものをROMやモデムなどで会社まで送っていました。開発機といっても、今とは違ってごく普通のパソコン(PC-9801)なんですよ。

●WIndows版発売に関して
このWindows版を手にしているユーザーの皆さんは、初めて聞いたというより懐かしいと思う方がきっと多いのでしょうね。「昔、夢中になった」という方はもちろん、コンピュータゲームの初期の作品を知らない方などにも、広く伝えてもらえるとありがたいです。
10年以上前のゲームなので、動作するハードウェアがほとんど残っていない現在、Windowsという環境で再び目を醒ます事が出来て、スタッフ一同喜んでいる事と思います。

●ユーザーのみなさんにひとこと
ロールプレイングゲームというと、『ファイナルファンタジー』とか『ドラゴンクエスト』など、有名なものがいくつかありますが、『ハイドライド』が発売になったのは、なんと実はそれらよりも前なんですよ。
パソコンゲーム(今ではコンシューマゲーム)に、いろいろな意味で影響を与えた『ハイドライド』というゲームを、今一度楽しんでみて下さい。